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〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜270-1

大多喜町観光協会       English / Chinese

城下町

城下町の見どころ

昔からの通りには文化財にもなる古い建物が並んでいます。ゆっくりと散策してみてください。

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散策マップ 

*駐車場は、大多喜駅下の町営駐車場をご利用ください。
*城下町案内人による散策ツアーも承っております。(要予約)詳細はこちら
    渡邉家住宅
渡辺家は大多喜城の御用商人を務め、この建物は嘉永2年(1848)4月に建てられたものです。格子戸、上げ障子、土ひさし付きの店構えが特徴で、2階は使われていた人に部屋、店の奥は茶の間、仏間、勝手間、座敷、奥座敷という間取りになっていて、奥座敷は書院造です。間口6.5間、奥行9間で、当時の大商人の様子がうかがえます。建物の中は公開しておりません。


    伊勢幸
明治6年(1873)に、大手門の材料の一部を使用して建築された商家で、屋根瓦に城主の紋所がありました。以前は酒店を営んでいましたが、現在は和風小物を販売しています。



    釜屋 
明治初期に建てられた土蔵造りの建物です。当時は質屋で、その後金物店などを営んでいました。土蔵造りではありますが、店舗として使われていました。2階は8畳間が二つあります。庭には立派なお稲荷さんがあり、当時の繁栄がうかがえます。
開館時間:9:00から17:00(11月から2月は16:00まで)
休館日:12月29日から1月3日
見学無料
    商い資料館
城下町として栄え、明治・大正・昭和を経て、平成へと伝え続けられてきた大多喜商人の心意気、それを支えてきた道具の数々、また、庶民の生活を支えてきた品々、ある年代の方には懐かしさと心安らぐ時を、若人には先人の生活の知恵と毎日の心豊かに過ごす技を感じてください。
開館時間:9:00から17:00(11月から2月は16:00まで)
休館日:12月29日から1月3日
見学無料
*竹の灯篭に午後5時から9時ごろま明かりがはいります。

   妙福寺
日蓮宗で、大永2年(1522)日明上人の開祖で、本多氏以来の歴代城主の帰依が厚く、多くの文化材が伝わっています。中でも大多喜城主本多忠勝の書状が残っていますが、これは妙福寺の住職が、はるばる忠朝のもとにそうめん一折を陣中見舞いとして届けたときの令状です。「遠路御念入れられ、・・・・快然の至り浅からず候」とあって、忠朝の人柄をほうふつさせる文章です。また、大多喜城主松平正久が妙福寺にあてた文章もあります。徳川家にて若君さまがご誕生にあたり、安産を祈った令状です。ほかに、室町時代の作と思われる絹本着色の釈迦涅槃図なども伝わっていて、城下町の寺院の貫録を物語っています。



   大圓寺(大円寺)
浄土宗、正蓮社天譽存公上人の開祖で、本尊阿弥陀如来立像は、像高160p、檜の寄木造り。文禄年間に造像されたもので、台座より3m余りもある見事なものです。墓地に立つ石造 阿弥陀如来立像は大多喜町指定文化財です。墓地内には荘司(野々宮)きくの墓があります。きくは明治の作家樋口一葉の友人で、大多喜に居し、教鞭をとっていた人です。のちに大多喜を離れ、大正11年53歳で亡くなりました。今、その墓石は、塀の近くにひっそりと建っています。(多くの資料では大円寺と表記されています。)


    夷隅神社
須佐之男命を祭神とし、口碑によれば、長久2年(1041)の再建、さらに天正15年(1587)正木大善が根古屋居城のとき再建したと伝えられており、以後、歴代大多喜城主の崇敬社でした。今の社殿の棟札および墨書銘は不明ですが、高い欄の宝珠の銘文により、文政12年(1829)の銘がもっとも古く、建築の様式、手法上から見ても、江戸時代末期ごろの建造物と考えられます。境内には西南戦争、日清戦争をはじめとする戦争で戦死した人々の表忠碑、明治初期コレラ撲滅に力を尽くし殉職した警察官の招魂碑などがあります。明治12年(1879)八月郷社となり近郷の人々の信仰を集めました。
                   毎月5と10のつく日に境内で朝市が立ちます。  

   良玄寺
大多喜城主本多忠勝ゆかりの菩提寺で、大多喜城下の新丁にあります。大多喜城を北西に望み、最も城が美しく見える景勝の地で、忠勝が菩提寺を建立するときに、意識的にこの地を選んだものと考えられています。良玄寺は昔は良信寺と言いましたが、良信というのは本多忠勝の法名です。忠勝は良玄寺を創建するために下総小金の東漸寺の了学上人を呼んで、師と仰ぎ、時に文禄4年(1595)忠勝は百石を了学上人に与えました。伊勢桑名に移ってからも、忠勝は自分の肖像画を菩提寺の了学上人に送っています。(南総博物館報より)

   本多忠勝公墓所 (町指定史跡)

「家康に過ぎたるものが2つあり、唐の頭と本多平八」徳川の好適であった信玄の軍が、的ながらあっぱれと本多平八郎忠勝をほめたたえた歌です。彼は戦国の世にあって、並びなく剛勇として知られ、徳川四天王の一人としてその名を馳せました。天正18年北条市が降りるや、その8月、忠勝は大多喜城十万石に封じられました。忠勝は、新しく禁制大多喜城の築城に取りかかりました。在職11年、伊勢桑名上に移り、慶長15年10月18日、63歳の生涯を閉じました。分骨されて、大多喜城下の良玄寺に埋葬され、大多喜城で亡くなった忠勝夫人と、大坂夏の陣で戦死した2代城主忠朝と静かに眠っています。
(総南博物館報より)(忠勝公 中央、忠勝公夫人 右、次男忠朝公 左)


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